しあわせになる英語 English for Happiness

日曜更新。人生に役立つバイリンガルの学び。

「ダライ・ラマ 実践の書」その7。自分の幸せのためには、まず他者を優先する?

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「情けは人のためならず」という場合の「人」とは「他人」のこと。このことわざは、
よく誤解されているのですが、正しくは、「情けは他人のために行なうのではなく、
自分のために行なうもの」という意味なのです。そして「情け」の英訳は、まさに、
このプログで何度も取り上げている”compassion”。「情けは人のためならず」を、
仏教的に解き明かすダライ・ラマの言葉を、バイリンガルでご紹介します。

 

Put others first; you yourself come next. This works even from a selfish viewpoint.
Let me explain how this is possible.

他者を優先し、自分のことは二の次に考えること。これは利己的な観点からも有用な
ことなのです。なぜそうなのか、ということを説明しましょう。

 

You want happiness and do not want suffering, and if you show other people kindness,
love, and respect, they will respond in kind; this way your happiness will increase.

人は誰しも幸せを求め、苦を望んでいません。そこで、もしあなたが他の人々に親切な
心で接し、愛情と尊敬の念を向けたら、相手も親切な心でこたえるでしょう。
このようにしてあなたの幸せは増えていくことでしょう。

 

If you show other people anger and hatred, they will show you the same, and you will
lose your own happiness.

もしあなたが他の人々に怒りと憎しみの心で接したら、相手も同じ気持ちでこたえる
でしょう。そして、あなたは自分の幸せを失うことでしょう。

 

So I say, if you are selfish, you should be wisely selfish. Ordinary selfishness focuses
only on your own needs, but if you are wisely selfish, you will treat others just as well as
you treat those close to you. Ultimately, this strategy will produce more satisfaction,
more happiness.

だから私はいうのです。もしあなたが利己的であるなら、賢く利己的でありなさい、
と。普通の利己主義は、自分の利益のことしか考えないというものですが、もし賢く
利己的であるならば、あなたは親友に接するように他の人々に接することでしょう。
結局、この戦略はずっと大きな満足、より大きな幸せをもたらしてくれるのです。

 

So, even from a selfish viewpoint, you get better results by respecting others, serving
others, and reducing self-centeredness. When you are concerned about others,
your own welfare is fulfilled automatically.

そういうわけで、利己的な観点からしても、他者を敬い、他者に奉仕し、そして
自己中心性を断ち切ることによって、好ましい結果を得ることができるのです。他の
人々を思いやるならば、あなたの幸福は必然的に満たされるのです。

 

My earnest request is that you practice love and kindness whether you believe
in a religion or not. Through this practice you will come to realize the value of
compassion and kindness for your own peace of mind.

私の切なる願いは、あなたに愛と思いやりの実践をしていただくことであり、その際
あなたがどのような宗教を信じていても、あるいは信じていなくても関係ありません。
この実践を通して、慈しみと思いやりはあなた自身の心の平和のためにどんなに有益で
あるか、ということを認識できるようになるでしょう。

 

After all, even though you may not be concerned with other people, you are very much
concerned with yourself――no question about it――so you must want to achieve
a peaceful mind and happier daily life. If you practice more kindness and tolerance,
you will find more peace.

結局、たとえあなたがそれほど他人に関心がなかったとしても、自分自身には、
いうまでもないことですが、たいへん関心があるわけですから、平和な心と幸せな日々
の生活を願っているにちがいありません。さらにいっそう思いやりと寛容の実践を
すれば、さらなる心の平和が訪れることでしょう。

 

This is why I say that if you are really selfish, you are better off being wisely selfish.
This way you can fulfill your selfish motive to be happy. That is much better than being
self-centered, or foolishly selfish, which will not succeed.

あなたがどうしても利己的に生きることを信条としているというなら、ぜひとも、賢く
利己的であるべきです。私がこういうのは以上の理由から明らかでしょう。幸せに
なりたいという利己的な思いが確実に実現するには、これ以外の方法はありません。
賢く利己的であるということは、ただ単に愚かしく自己中心主義であることより、格段
にすぐれているのです。自己中心主義がよい成果を生んだ試しはありません。

 

 

How To Practise: The Way to a Meaningful Life

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ダライ・ラマ実践の書

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「ダライ・ラマ 実践の書」その6。真の思いやりへ。あなたの敵こそ、あなたの教師。

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人類が破滅の道から脱出して生き残るために必要な、「愛と思いやり」。そのうち
「思いやり・慈悲(compassion)」は、本来、私たちが思い浮かべるような他人への
心遣い、という枠組みをはるかに超えた、もっと広くて深いものだと言います。
そして、その真の思いやりを獲得するために最も重要な教師となってくれるのが、
あなたに危害を加えようとする敵だと言うのです。どういうことでしょうか?
ダライ・ラマの解説をバイリンガルでご紹介します。

 

“For a practitioner of love and compassion, an enemy is one of the most important
teachers. Without an enemy you cannot practice tolerance. And without tolerance
you cannot build a sound basis of compassion. So in order to practice compassion,
you should have an enemy.”

「慈悲を実現する者にとって、敵は最も重要な教師の一人である。敵なくして寛容を
実践することはできず、寛容なくして健全な慈悲の基礎を築くことはできない。
それゆえ、慈悲を実践するためには、敵をもたねばならないのである」

 

“When you face your enemy who is going to hurt you, that is the real time to practice
tolerance. Therefore, an enemy is the cause of the practice of tolerance; tolerance is
the effect or result of an enemy. So those are cause and effect. As is said, “Once
something has the relationship of arising from that something, one cannot consider
that thing from which it arises as a harmer; rather it assists the production of the effect.”
(Shantideva ”A Guide to the Bodhisattva Way of Life”)

 

「あなたに危害を加えようとしている敵に会ったら、それは寛容を実践することが
できる真のときである。それゆえに、敵は寛容を実践するための源泉であり、寛容は
敵によってもたらされる結果である。よくいわれていることだが、『あるものが別の
ものから起こるという関係がある場合、それは他方に害をなすものとして起こるとは
考えにくい。それどころか結果を生み出すことを助けるものである』ということ
なのである」

シャーンティデーヴァ「入菩薩行論(にゅうぼさつぎょうろん)」より)

 

Reflection on this type of reasoning can help develop great patience, which, in turn,
develops powerful compassion. Real compassion is based on reason. Ordinary
compassion or love is limited by desire or attachment.

この種の道理を熟考することは、大いなる忍耐心をはぐくむのに役立ち、さらにそれが
順次、強固な慈悲心をはぐくむのに役立つはずです。普通の思いやりの心は欲望
ないしは執着心に制約されていますが、真の慈悲は道理にもとづいているのです。

 

If your life is easy and everything is going smoothly, then you can maintain pretenses.
However, when you face really desperate situations, there is no time to pretend;
you have to deal with reality.

もしあなたの人生が辛いものではなく、万事が順調であるならば、見た目の体裁を繕い
続けることができるでしょう。けれども、人は絶望的な状況に直面したとき、見た目を
装っている暇はありません。真実なるものにかかわらざるをえないのです。

 

Hard times build determination and inner strength. Through them we can also come to
appreciate the uselessness of anger. Instead of getting angry, nurture a deep caring and
respect for troublemakers because by creating such trying circumstances, they provide
us with invaluable opportunities to practice tolerance and patience.

困難な時期は決断力と内なる強さを鍛えてくれます。それらを通して、私たちは怒りが
いかに無益なものであるか、ということを正しく理解できるようになれるのです。怒る
かわりに、トラブルを引き起こす人たちに対して、よくもこんな厄介な状況を生み
出してくれたと、むしろ感謝して、深い思いやりと尊敬する心を養うのです。彼らは
私たちに、寛容と忍耐を実践するための、計り知れないほど貴重な機会を与えてくれて
いるわけです。

 

How to Practice: The Way to a Meaningful Life

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「ダライ・ラマ 実践の書」その5。「忍耐」こそ、悟りに近づく第一歩。

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ブッダによれば、「忍耐(patience)」こそ、修行の最高のかたちであり、忍耐を通して
人は涅槃に到達すると言います。「涅槃(ねはんnirvana)」とは、すべての煩悩から
解き放たれた、悟りの最高の状態。私たち悩み多き凡人には、とても手の届かない境地
のように思われますが、少なくとも、忍耐を重ねることで、苦しみから解放される
ための第一歩は踏み出せそうです。ダライ・ラマは、忍耐に関する仏教僧の心構えを、
私たち在家者の生活に取り入れることを提唱しています。バイリンガルでどうぞ。

 

For monks and nuns, there are four qualities of patience and tolerance to maintain;

■If someone pushes you around, you should be tolerant, patient.

■If someone shows anger to you, you should not respond with anger.

■If someone hits you, you should not strike back.

■If someone embarrasses and insults you, you should not answer back.

僧と尼僧の保つべき寛容と忍耐に関する特質が四つあり、それは次の通りです。

乱暴に扱われても寛容であれ。耐えよ。

■怒りに対して怒りをもってこたえてはならない。

■撲たれても打ち返してはならない。

■侮られても辱められても侮辱して返してはならない。

 

Practicing Buddhism means transforming your attitude. Monastic practices can be
incorporated into a layperson’s life through a strong, conscious wish to refrain from
harming others, physically or verbally. This requires patience that will withstand physical
and verbal attack.

仏教を実践するということは、自らの態度を変えていくことを意味します。僧侶の
実践法は在家者の生活の中に取り入れることができます。身体の面からでも言語の
面からでも他者に危害を加えることはしない、という強固な意識的な願望を通じて、
それを行なうことができます。これには身体的かつ言語的な攻撃に決してめげない忍耐
を必要とします。

 

A gradual approach is far better than trying to jump too high too soon; otherwise, there is
great risk and danger.

段階的な取り組み方は、高度なところへ一気に跳躍しようと試みるより、ずっと
すぐれています。さもなければ、たいへん危険なことになるでしょう。

 

For the time being, contribute to society and practice the teachings. Once you reach
a certain stage of experience, you can practice with greater force if you become
a monastic. These practices fit together step by step.

さしあたって社会に貢献し、そしてもろもろの教えを実践することです。ひとたびある
一定の段階の経験に達したなら、たとえ在家者であってもいっそう力を込めて実践する
ことができます。こうした実践は段階的に組み立てられているのです。

 

Usually my advice for beginners is to be patient; have fewer expectations of yourself.

通常、私が初心者に与えるアドバイスは耐えることです。自分勝手に思い込んで過度の
期待をしないで下さいね。

 

It is most important to be an honest citizen, a good member of the human community.
Whether or not you understand profound ideas, it is important to be a good person
wherever you are right now. You should not neglect a greater purpose for the sake of
a smaller one.

正直で誠実な市民、つまり人間社会のよき一員であることが一番大切なのです。あなた
が深遠な教理を理解していようと、していまいと、重要なことは、どこにいても良き
人間であるということです。小さな眼前の目的のために大きな目的を忘れては
なりません。

 

I like to say that the essence of the Buddha’s teaching can be found in two sayings;

If possible, you should help others.

If that is not possible, at least you should do no harm.

仏陀の教えの本質は、次の二行の言葉に尽きるということをいっておきたいと

思います。

できるならば、人のためにつくしなさい。

それができなければ、せめて危害を加えてはいけません。

 

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「ダライ・ラマ 実践の書」その4。思いやりを敵にも向ける。究極の「心の平和」の獲得法とは?

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どんな逆境にあっても、けっして取り乱さず、「心の平和」を保ち続けることができる
人がいます。中国からの迫害に会い、故郷を追われたダライ・ラマは、その代表的な
人物と言っていいでしょう。実際に出会った人すべてを安心させ、幸せな気持ちに
させると言う彼の「心の平和」はどこから来るのか?彼自身の実践の中に見つけること
ができると思います。バイリンガルでご紹介します。

 

仏教徒であるダライ・ラマは、毎朝、思いやり(compassion)を生きとし生けるもの
すべてに向ける瞑想を行なっていると言います。

 

Every day in the early morning, and especially when I have the time, I do this practice
in a general way with regard to all living beings. But in particular I single out Chinese
leaders and those officials who must make decisions on the spot to torture or kill
particular Tibetans. I visualize them, and draw their ignorance, prejudice, hatred, and
pride into myself.

毎日朝早く、そしてそれ以外にも特に時間があるとき、私はこの瞑想実践を一切衆生
向ける一般的なかたちで行なっています。しかし、ときに特にチベット人の拷問や殺害
を決定しなければならない中国の指導者や高官たちを選別し、彼らのことを思い
描いて、彼らの無知、偏見、憎悪、私に対する虚栄心を取り除くのです。

 

I do this with such strong feeling that if later in the day in my office I hear of their
atrocities, although one part of my mind is a little irritated and angry, the main part is still
under the influence of the morning practice, the intensity of the hatred is reduced to the
point where it is groundless.

私はこの瞑想実践をたいへん力をこめて行なっているので、たとえ自分の事務所で彼ら
の残虐行為に関する報告を聞いた後で、私の心の片隅に若干のいらつきと怒りが生じた
としても、心の主要な部分は朝の実践法の影響下にあるからでしょう。どんな憎しみが
わき起こっても、それは無意味なことなのだという思いにおさまるのです。

 

Whether this meditation really helps those officials or not, it gives me peace of mind.
Then I can be more effective; the benefit is immense.

このような瞑想が実際に中国の高官たちのためになるかどうかわかりませんが、
そのようなこととは無関係に私自身の心に平和をもたらしてくれます。そういう
わけで、私には大いに役に立つことであり、その恩恵ははかりしれないものが
あります。

 

Under no circumstances should you lose hope. Hopelessness is a real cause of failure.
Remember, you can overcome any problem. Be calm, even when the external
environment is confused or complicated; it will have little effect if your mind is at peace.
On the other hand, if your mind gives way to anger, then even when the world is peaceful
and comfortable, peace of mind will elude you.

どんな場合でも決して希望をなくしてはいけません。失敗の原因は絶望することです。
あなたはどんな問題でも克服することかできる、ということを忘れないで下さい。
たとえどんなに周囲の環境が混乱し困難な状況にあっても、冷静になってください。
もしあなたの心に平和が保たれていれば、何事もたいしたことはありません。その反対
に、もしあなたの心が怒りにまかせて冷静さを失うならば、たとえ世界が平和で
心地よいときですら、心の平和を得ることはかなわないでしょう。

 

 

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「ダライ・ラマ 実践の書」その3。ブッダの最初の教え。悟りのための基礎知識。

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悟りを得たブッダが最初に説いたのが「四聖諦ししょうたい(The Four Noble
Truths)」。悩みの多い自己を克服するために仏教を実践する人にとって、基本中の
基本となる教えです。そこまで仏教に深入りしていない、という人でも、たとえば、
外国人と宗教について話をする際、知っておいたほうが良い基礎知識でもあるので、
バイリンガルで学んでおけば、役に立つこともあると思います。ダライ・ラマ
言葉でお届けします。まずは、「四聖諦(The Four Noble Truths)」の中身から。

 

 1. true suffering

 2. true sources of suffering

 3. true cessations of suffering and its sources

 4. true paths for actualizing true cessations

 

1.苦があるという真実(苦聖諦くしょうたい、苦諦くたい)

2.苦には原因があるという真実(集聖諦じっしょうたい、集諦じったい)

3.苦の滅がありうるという真実(滅聖諦めっしょうたい、滅諦めったい)

4.苦の滅に至る道があるという真実(道聖諦どうしょうたい、道諦どうたい)

 

In practice, you have to identify the extent of suffering first, to know that this type of life is
beset by misery; this deepens your natural wish to be freed from pain.

実践の上では、まず苦の実態を見極めなくてはなりません。この世における生は
苦悩に満ちているということを知るのです。このことにより、苦痛から逃れたい
という自然の欲求が生じます。

 

When you recognize suffering for what it is, as Buddha did, then you will be drawn into
discovering its causes, the sources of suffering. Just as a doctor must first diagnose
a disease, you must understand the root cause of suffering before you can treat it.

苦とはどういうものであるかということを知れば、次に仏陀がされたように、苦の
原因を見出そうとするようになるでしょう。あたかも医者が病気を診断するように、
苦に対処する前に苦の根本的な原因を理解しておかなければなりません。

 

Not until you have determined the sources of suffering can you understand that
there could be a cessation to it. Also, without decisively understanding that the end of
suffering is possible, you might consider practice of this path just a fruitless hardship.
Then you can seek the true paths for actualizing true cessations.

苦の原因がつきとめられてはじめて、苦の滅があるということが理解できます。また
苦の滅が可能であると、はっきり理解していなければ、そのための道の実践も単に
実りのない苦労と考えてしまうかもしれません。そうしてから最後に、真なる停止を
実現する道(第四の真実=道聖諦)を追求することができるのです。

 

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「ダライ・ラマ 実践の書」その3。ブッダの最初の教え。悟りのための基礎知識。

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悟りを得たブッダが最初に説いたのが「四聖諦ししょうたい(The Four Noble
Truths)」。悩みの多い自己を克服するために仏教を実践する人にとって、基本中の
基本となる教えです。そこまで仏教に深入りしていない、という人でも、たとえば、
外国人と宗教について話をする際、知っておいたほうが良い基礎知識でもあるので、
バイリンガルで学んでおけば、役に立つこともあると思います。ダライ・ラマ
言葉でお届けします。まずは、「四聖諦(The Four Noble Truths)」の中身から。

 

 1. true suffering

 2. true sources of suffering

 3. true cessations of suffering and its sources

 4. true paths for actualizing true cessations

 

1.苦があるという真実(苦聖諦くしょうたい、苦諦くたい)

2.苦には原因があるという真実(集聖諦じっしょうたい、集諦じったい)

3.苦の滅がありうるという真実(滅聖諦めっしょうたい、滅諦めったい)

4.苦の滅に至る道があるという真実(道聖諦どうしょうたい、道諦どうたい)

 

In practice, you have to identify the extent of suffering first, to know that this type of life is
beset by misery; this deepens your natural wish to be freed from pain.

実践の上では、まず苦の実態を見極めなくてはなりません。この世における生は
苦悩に満ちているということを知るのです。このことにより、苦痛から逃れたい
という自然の欲求が生じます。

 

When you recognize suffering for what it is, as Buddha did, then you will be drawn into
discovering its causes, the sources of suffering. Just as a doctor must first diagnose
a disease, you must understand the root cause of suffering before you can treat it.

苦とはどういうものであるかということを知れば、次に仏陀がされたように、苦の
原因を見出そうとするようになるでしょう。あたかも医者が病気を診断するように、
苦に対処する前に苦の根本的な原因を理解しておかなければなりません。

 

Not until you have determined the sources of suffering can you understand that
there could be a cessation to it. Also, without decisively understanding that the end of
suffering is possible, you might consider practice of this path just a fruitless hardship.
Then you can seek the true paths for actualizing true cessations.

苦の原因がつきとめられてはじめて、苦の滅があるということが理解できます。また
苦の滅が可能であると、はっきり理解していなければ、そのための道の実践も単に
実りのない苦労と考えてしまうかもしれません。そうしてから最後に、真なる停止を
実現する道(第四の真実=道聖諦)を追求することができるのです。

 

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「ダライ・ラマ 実践の書」その2。永遠に続く苦しみから解放されるために。悟りへの第一歩とは?

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仏教の考え方では、人間とは、「生老病死」の苦しみを永遠に繰り返す、つまり
「輪廻(りんね)」に縛られた存在。仏教徒がめざす「悟り(enlightenment)」とは、
そこからの解放を意味していると言います。悟りへの第一歩は、「持戒(morality)」と
呼ばれるもので、もっと詳しい英訳では”strictly adhering to Buddhist precepts” つまり
「道徳的な教えを厳しく守ること」。言われてみれば、人間としてのまっとうな道を
歩むということで、実行できるかどうかは別にして、とくに難解なものでは
ありません。持戒における心構えを、ダライ・ラマが解説しています。

 

Effective practice of the morality of individual liberation depends upon sound, long-term
motivation. For example, one should not become a monk or a nun to avoid having to
work at a worldly job for food and clothing. Also it is not sufficient merely to seek to avoid
difficulty in this lifetime. To be motivated by such trifling purposes does not help to
achieve freedom from cyclic existence――the ultimate reason to practice the morality of
individual liberation.

悟りにつながる持戒を効果的に行なうためには、健全で長続きする動機づけが必要
です。たとえば、衣食を得るための世間的な仕事につくのを嫌って、僧なり尼僧に
なろうとするのはよくありません。また単に人生の苦難から逃れるために、ということ
でも充分ではありません。こうしたふまじめな目的に動機づけられているようなこと
では、輪廻する存在からの解放――これが悟りにつながる持戒を実践する究極の理由
――を達成することはかないません。

 

This is confirmed by Buddha’s life story. One day Shakyamuni slipped outside the palace
wall to experience life for himself. For the first time he saw a sick person, an old person,
and a corpse. Deeply troubled by the suffering of sickness, aging, and death, he came to
the conclusion that worldly life is without substance. Later, inspired by several religious
practitioners, Buddha became captivated by the possibility of a higher, more meaningful,
spiritual life. At that point he escaped from the palace, leaving his ordinary life behind to
pursue that vision.

このことは仏陀の生涯の物語によっても実証されます。釈尊はある日、宮殿の壁の外に
出て貴重な人生体験をします。初めて病人、老人、死骸を見たのです。病むこと、
老いること、死ぬことの苦に深く心を悩まされ、この世は無常だという結論に
達します。後に何人もの宗教家の教えを請い、仏陀はもっと崇高でもっと意義深い
精神世界の可能性に魅了されるようになります。そこで彼は理想を追求するために宮殿
を抜け出て、それまでの生活を離れるのです。

 

What does this teach us? Like Buddha we need to begin by becoming concerned about
the suffering of cyclic existence and by turning away from temporary distractions.
Influenced by this new attitude, we must take up a system of morality by renouncing
cyclic existence and by taking vows of pure behavior through seeking to avoid the ten
nonvirtues.

これは私たちに何を教えてくれるのでしょうか。仏陀のように、私たちも自分が輪廻的
存在としての苦に気づき、一時的な享楽から離れることから始めなければならないと
いうことです。この新しい心構えのもとで、私たちは輪廻的存在であることを放棄し、
十の不善を避けようとすることによる清廉な行動の誓いを立てることによって、持戒
実践方法に取りかからなければなりません。

 

■ここでいう、「十の不善 (ten nonvirtues)」とは、以下のとおり。

 

killing, stealing, sexual misconduct, lying, divisive talk, harsh speech, senseless chatter,
covetousness, harmful intent, wrong views

殺生(せっしょう)、偸盗(ちゅうとう)、邪淫(じゃいん)、妄語(もうご)、
両舌(りょうぜつ)、悪口(あっく)、綺語(きご)、慳貪(けんどん)、
瞋恚(しんい)、邪見(じゃけん)

 

それにしても、これら日本語の単語は難しいですね。第一、読めないし、ほぼ日常生活
で使わない言葉ばかり。それに対して、例えば、「偸盗」は”stealing” 。英語で
言われたほうが、スッと頭に入るのではないでしょうか。この「しあわせになる英語」
を始めたひとつの理由がここにあります。少しでもお役に立てれば幸いです。

 

How To Practise: The Way to a Meaningful Life

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