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しあわせになる英語 English for Happiness

共に学ぶ「お役立ち」プログをめざします。

真の信仰と盲目の信仰の違いとは? 「イエスとブッダ いのちに帰る」その4

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「信仰」と聞いて、すぐに既成の宗教への入信を想像し、拒否反応を示す人も
多いと思いますが、マインドフルネスの伝道師ティク・ナット・ハンの説く
「信仰」は、必ずしも、宗教の道に入ることを意味しません。彼の言葉に耳を
傾けてみましょう。

 

True faith comes from how the path you are taking can bring you life and love
and happiness everyday. You continue to learn so that your happiness and
your peace, and the happiness and peace of the people around you, can grow.
You don’t have to follow a religious path in order to have faith. But if you are
committed only to a set of ideas and dogmas that may be called faith, that is
not true faith. We have to distinguish. That is not true faith, but it gives you energy.
That energy is still blind and can lead to suffering; it can cause suffering for other
people around you. Having the kind of energy that can keep you lucid, loving,
and tolerant is very different from having energy that is blind. You can make
a lot of mistakes out of that kind of energy. We have to distinguish between true
and blind faith. That is a problem in every tradition.

ほんとうの信仰は、あなたのいきいきとした愛と幸福の生活から生まれるものです。
学びつづけることによって、あなたやまわりの人々の幸福や平和が育ちます。信仰を
持つのに、宗教の道に入る必要はありません。信仰という名の観念やドグマに関わる
だけなら、それは真の信仰とはなりません。これを混同しないようにしてください。
真の信仰ではないのに、力だけが与えられることがあるからです。その力は盲目で
人を苦しみに向かわせて、まわりの人々の苦しみを引き起こします。明快で愛に満ち
忍耐強いエネルギーをもつことと、未熟で盲目的なエネルギーをもつことは別もの
です。そのようなエルルギーからは、大きなあやまちが生まれます。真の信仰と
盲目の信仰を区別しなければなりません。これがどの宗教でも陥りがちな問題です。
 

ちょっと長い引用になりましたが、例えば、オウム真理教の問題などを思い起こして
みれば、ティク・ナット・ハンの言う「盲目の信仰」の意味するところがわかると
思います。逆説的な言い方かもしれませんが、人間よりも何か大きな存在を信じる
「信仰」と、自分と「宗教」の関わり方は、一度分けて考えたほうが良いのかも
知れません。ただ、人は何かを信じなければ生きていけない生き物であることも、
また事実。最後に、かなり厳しい意見になるかもしれませんが、ティク・ナット・
ハンの以下の言葉を引用したいと思います。

 

People who do not believe in anything are those who suffer the most. They don’t
see anything beautiful, or true, or good. They are in complete confusion. That is
the utmost kind of suffering. They might suffer more deeply than any others we
might encounter. When you don’t believe in anything, you become sort of
wandering soul; you don’t know where to go or what to do. You don’t see any meaning
in being alive. Because of that, you may try to destroy yourself physically and mentally.
And there are so many ways of self-destruction available today.

何も信じられない人は、もっとも苦しむ人です。美しいものも、真実のものも、
善きものも、何も見えなくなり、完全に混乱して、極限の苦しみを味わいます。
彼らの苦しみは、私たちが出会うどんな人よりも、さらに深いものであるかも
しれません。何も信じない人は、さまよえる魂のような存在です。どこへ行くべきか、
何をすべきかを知らず、生きている意味も見いだせません。肉体的にも精神的にも
自己破滅に向かいます。そして今日ほど、自己破滅への道が用意された時代はないの
です。

 

Going Home: Jesus and Buddha as Brothers

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イエスとブッダ: いのちに帰る

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  • 作者: ティク・ナット・ハン,池田久代
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自分を見失わないためのマインドフルネス。「イエスとブッダ いのちに帰る」その3

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今、世界中の人々が注目し実践しているマインドフルネスは、もともと仏教の教え。
こころを静めて、いま・ここに戻り、あらゆることを深く見つめ、深く触れる手助け
をしてくれるエネルギーです。マインドフルネスによって、私たちは、迷った時に
帰るべき場所、すなわち「わが家」は自分自身だと気づかされる、と禅僧ティク・
ナット・ハンは言っています。

 

Every time you feel lost, alienated, cut off from life, or from the world, every time
you feel despair, anger, or instability, you have to know how to practice going home.
Mindful breathing is the vehicle that you use to go back to your true home.

喪失感や疎外感を感じたとき、人生や世界から切り離されたと感じたとき、絶望や
怒りを感じたときはいつでも、わが家に戻る練修をしてください。マインドフルな
呼吸は、あなたが自分のほんとうの家に戻るための乗りものになります。

 

Live your daily life in a way that you never lose yourself. When you are carried away
with your worries, fears, cravings, anger, and despair, you run away from yourself
and you lose yourself. The practice is always to go back to oneself. You have a
wonderful vehicle. And you don’t have to buy any gasoline. Mindful breathing and
mindful walking are wonderful ways to go back to oneself.

毎日けっして自分を見失わないようにすごしてください。心配ごと、怖れ、渇望、
怒り、絶望に心を奪われたら、自分から逃げだして、自分を見失います。いつも
自分自身に戻る練修をしてください。あなたは素晴らしい乗りものに乗っています。
ガソリンを買う必要がないのですから。マインドフルな呼吸、マインドフルな歩きは、
自分に戻る素晴らしい方法です。

 

Why do you have to run to find your home? Your home is here, your home is now.
Recognize it. Everything, everyone is part of your true home. You have a lot of space.
You are not isolated.

自分の家を見つけるのに、どうして走りまわらなければならないのでしょうか。
あなたの家はここにあります。あなたの家はいま・この瞬間です。気づいてみて
ください。ものも人もすべて、あなたの愛しいわが家の一部です。あなたのなかに
広い空間があります。孤立などしていません。

 

Going Home: Jesus and Buddha as Brothers

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イエスとブッダ: いのちに帰る

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あなたの敵を愛する方法。理解から愛へ。「イエスとブッダ いのちに帰る」その2

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聖書の有名な言葉「あなたの敵を愛しなさい」に関して、マインドフルネスの
伝道師ティク・ナット・ハンが、仏教徒としての深い見解を述べています。

 

Why do you have to love your enemy? How can you love your enemy?
In the Buddhist teaching, this is very clear. Buddhism teaches that understanding is
the ground of love. When you are mindful, you realize that the other person suffers.
You see her suffering and suddenly you don’t want her to suffer any more. You know
that there are things you can refrain from doing to make her stop suffering, and
there are things you can do to bring her relief.

どうして敵を愛さなければならないのでしょうか。どうしたら敵が愛せるの
でしょうか。仏教の答えは、はっきりしています。仏教では、愛の基盤は理解です。
あなたがマインドフルになったら、他の人の苦しみが見えてきます。苦しみが
見えると、突然、その人の苦しみを減らしてあげたくなるのです。苦しみから
その人を救ってあげるためにしてはいけないことと、その人を安心させるために
あなたにできることがわかるのです。

 

When you begin to see the suffering in the other person, compassion is born, and
you no longer consider that person as your enemy. You can love your enemy.
The moment you realize that your so-called enemy suffers and you want him
to stop suffering, he ceases to be your enemy.

人の苦しみが見えはじめると、慈悲の心が生まれて、その人を敵と思わなく
なります。敵を愛することができるのです。あなたが敵と思っている人が
苦しんでいて、その苦しみをとめてあげたいと思った瞬間に、その人は敵では
なくなるのです。

 

When you hate someone, we are anger at him because we do not understand
him or his environment. By practicing deep looking, we realize that if we grew up
like him in his set of circumstances and having lived in his environment, we would be
just like him. That kind of understanding removes your anger, removes your
discrimination, and suddenly that person is no longer your enemy. Then
you can love him.

誰かを憎むとき、その人のおかれた状況が理解できないから、腹を立てるのです。
深く見つめる練修をすると、もし自分がその人と同じような境遇で育てられ、
同じような環境で生活してきたら、自分も同じことになるとわかります。この理解に
よってあなたの怒りが去り、偏見も消えていきます。そのとき突然、その人は
あなたの敵ではなくなります。その人を慈しむ気持ちが生まれてきます。

 

One of the things I have learned from the teaching of the Buddha is that
without understanding, love is not possible. If a husband and wife do not
understand each other, they cannot love each other. If a father and son
do not understand each other, they will make each other suffer. So understanding
is the key that unlocks the door to love.

私がブッダから学んだ大切なことは、理解なしに愛はないという教えです。
夫と妻がおたがいに理解しあわなければ、たがいに愛しあうことはできない。
父と息子がたがいに理解しあわなければ、苦しめあうばかりです。理解は
愛の扉をひらく鍵なのです。

 

Going Home: Jesus and Buddha as Brothers

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イエスとブッダ: いのちに帰る

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神は人格か?ひとつの明確な答え。「イエスとブッダ いのちに帰る」その1

f:id:englishforhappiness:20170428001350p:plain

「神は人格か(Is God a person)?」延々と論議されてきたこの問いに、
マインドフルネスの伝道師ティク・ナット・ハンが、仏教徒として答えています。
そもそも、神の存在、あるいは仏教で問題となる「涅槃(ニルヴァーナnirvana)」を
語るのに、一般の現象を語る言葉を使うことが問題だと言うのです。

 

The first principle we have to remember is that we should not mix up the
phenomenal level with the noumenal level. We should not discuss nirvana or
God in terms of phenomena. That would help save our time and energy.
In discussing whether God is a person or not a person, you are trying to compare
the ground of being with one expression at the phenomenal level. You are making
a mistake.

現象のレベルと本体のレベルを混同してはいけません。これが忘れてはいけない
根本です。時間やエネルギーを無駄に使わないためには、現象を語る言葉で涅槃や
神を語らないことです。神は人格的存在か非人格的存在かという議論をするとき、
あなたは存在の基盤を現象世界の言葉で比較しようとしているのです。ここに誤謬が
生じます。

 

ここで言う「本体(noumenon)」とは、かなり難しい言葉なのですが、哲学用語で
「本体、物自体、不可知なもの」という、乱暴に言えば、一般の現象世界を語る
言葉では描写できない存在のこと。ティク・ナット・ハンは、さらに続けます。

 

In Christianity, a lot of time and energy has been used to discuss whether or not
God is a person. But in Buddhism that is not a big problem, because we know that
a person is made of non-person elements and vice versa.

キリスト教は、時間とエネルギーを費やして、神は人格かどうかを議論してきました。
しかし仏教では問題になりません。人格は人格でない要素からできており、逆もまた
真だと知っているからです。

 

When you look at a person you can see the non-person elements like animals and
plants. When you look at a person you can already see the Buddha. You don’t need
the Buddha to manifest through your perception to recognize it as existing. Because
you can already see the lemon in the lemon blossom.

人を見たら、その人のなかに動物や植物のような人でない要素が見えます。人を
見たら、その人のなかにブッダが見えるのです。あなたのなかにブッダが存在して
いることを知るのに、わざわざ知覚を使ってブッダを呼びだす必要などありません。
レモンの花を見れば、すでにレモン(の果実)が見えているからです。

 

いかがでしたか? すべてのものに神が宿るという考え方を受け入れている日本人
なら、かなりわかりやすい説明だったのではないでしょうか。今回からご紹介して
ゆく、「イエスとブッダ いのちに帰る」は、この第1章の内容が難しいのですが、
そこを過ぎれば、いつものわかりやすい語り口で引きつけられます。どうぞ、
お楽しみに!

 

Going Home: Jesus and Buddha as Brothers

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イエスとブッダ: いのちに帰る

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仏教とキリスト教。たがいに豊かにできる可能性とは?「ダライ・ラマ、イエスを語る」その4。

f:id:englishforhappiness:20170426002930p:plain

そもそも人は、それぞれが育てられ、信じている宗教を大切にすべきで、仏教徒
仏教の道を究め、キリスト教徒はキリスト教の信仰を深めていけば良い、というのが
ダライ・ラマの基本的な考え方です。その上で、無用な摩擦を避け、より良い世界を
築いていくために、互いに知っておいたほうが良いことが、いくつかあると言うの
です。ダライ・ラマは、語ります。   

 

For example, for some people, the Christian traditions, which are based on belief
in a Creator, have the most powerful effect on their ethical life and serve to motivate
them to act in an ethical and sound way. However, this might not be the case for
every person. For others, the Buddhist tradition, which does not emphasize belief
in a Creator, may be more effective. In the Buddhist tradition, there is an emphasis
on a sense of personal responsibility rather than on a transcendent being.

たとえば、創造主への信仰を基にしたキリスト教こそが、道徳的に正しい生涯を送る
上で一番効果があり、正しく健全な行動をするための動機づけをあたえてくれる、と
主張する人々がいます。しかし、だれでもそうだというわけではありません。創造主
を強調しない仏教の方が、効果がある人もいます。仏教では、超越的存在よりも個人
の責任という感覚により重きをおいていますからね。

 

It is also crucial to recognize that both spiritual traditions share the common goal
of producing a human being who is fully realized, spiritually mature, good, and
warm-hearted person. Once we have recognized these two points-commonality of
the goal and the clear recognition of the diversity of human dispositions-then I feel
there is a very strong foundation for dialogue. It is with these convictions, these two
principal premises, that I always enter into dialogue with other traditions.

それに、仏教キリスト教も、完全に目覚めた、霊的に成熟した、温かい心を
持った、善い人をつくるという目的は同じだ、と認識することも大切です。目的は
同じだという認識と、人間の心の傾向はじつに多様だというはっきりした認識、
この二つの認識を持つことが、対話への基礎となると思います。私はいつでも、
この二つの前提を胸に、他の宗教との対話に参加します。

 

To sum up all that we’ve discussed, I feel there is tremendous convergence and
a potential for mutual enrichment through dialogue between the Buddhist and
Christian traditions, especially in the areas of ethics and spiritual practice, such as
the practices of compassion, love, meditation, and the enhancement of tolerance.
And I feel that this dialogue could go very far and reach a deep level of understanding.
要約すると、慈悲や愛や瞑想や寛容の修行のような、倫理的・霊的な修行の分野では
とくに、仏教キリスト教の対話はうまく話がかみあって、おたがいを豊かにできる
可能性があると、私は思っています。

 

 

The Good Heart: His Holiness the Dalai Lama

The Good Heart: His Holiness the Dalai Lama

 

 

 

ダライ・ラマ、イエスを語る (角川21世紀叢書)

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他人がいるから、慈悲(思いやり)が生まれる。あなたにとって、他人とは?「ダライ・ラマ、イエスを語る」その3

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良く言われることですが、仏教でいちばん大事なのは、慈悲(思いやりcompassion)
の心。そもそもの意味は、com=「共に」、passion=「苦しむ」であり、自分以外の
誰かに思いを馳せ、苦しみを共にすることから来ている、と言います。ダライ・ラマ
は、慈悲をめぐる考察で、まず、「他人」と「自分」の関係について、以下のように
語っています。

 

For example, we can easily perceive the kindness of someone who is directly involved
in our life and our upbringing. But if you examine the nature of your existence, including
your physical survival, you will find that all the factors that contribute to your existence
and well-being-such as food, shelter, and even fame-come into being only through
the cooperation of other people.

たとえば、私たちは、自分の人生をみつめてみて、とくに自分が幼い頃に他人の
親切によって育てられていたことを思い起こしてみるのです。そうすると、自分を
取り囲んでいた人々の優しさや親切に、すぐに気がつくようになります。肉体的に
生きることを可能にしてくれているものばかりではなく、自分の人間としての生存を
考えてみても、自分が生きていられるということ、しかも幸福であることを可能に
してくれているすべてのものが、そうですね、たとえば食べ物であるとか、住む家で
あるとか、あるいは名声などというものでさえ、そのすべてが他の人々の協力なし
にはありえないことばかりだということに気づきます。

 

Very precious state of mind, compassion, is impossible without the presence of others.
慈悲という、この素晴らしく尊い精神状態は、他人の存在なしには不可能なのです。

 

Every aspect of your life―your religious practice, your spiritual growth, even your basic
survival―is impossible without others. When you think along such lines, you will find
sufficient grounds to feel connected with others, to feel the need to repay their kindness.
In light of these convictions, it become impossible to believe that some people are
totally irrelevant to your life or that you can afford to adopt an indifferent attitude
toward them. There are no human beings who are irrelevant to your life.

あなたの人生のすべての側面において、それはたとえば宗教的な実践であれ、霊的な
成長であれ、あるいは基本的な生存でさえも、他人なしには不可能なのです。
こうやって考えると、自分は深く他人と結びついていると感じることができますし、
他人の親切には報いなければならないと感じるでしょうね。こう納得できれば、
自分の人生にまったく無関係な人がいるとか、その人たちには無関心な態度を
とってもいいなどとは思えなくなります。あなたの人生に無関係な人間など、
この世には一人もいないのです。

 

 

The Good Heart: His Holiness the Dalai Lama

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ダライ・ラマ、イエスを語る (角川21世紀叢書)

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あなたの敵を愛せるか?慈悲(思いやり)と寛容が、あなたを、世界を救う。「ダライ・ラマ、イエスを語る」その2

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聖書の中でも最も知られた言葉「敵を愛し、自分を迫害する者のために
祈りなさい(Love your enemies and pray for your persecutors)」に関して、
ダライ・ラマは、ひとりの仏教徒として深い見解を述べています。

 

(It is very important to develop the right attitude toward your enemy.)If you can
cultivate the right attitude, your enemies are your best spiritual teachers because
their presence provides you with the opportunity to enhance and develop tolerance,
patience, and understanding.                                                                                                         

敵がいるということは、自分の中に寛容と忍耐と理解を高め、成熟させるチャンスを
あたえられたわけですから、この機会をとらえて、もしも正しい態度を養うことが
できるならば、敵の存在はあなたが自らの霊性を高めるための、最高の教師になって
くれるはずです。

 

There are specific techniques for developing this sense of equanimity toward
all sentient creatures. For instance, in the Buddhist context, one can refer to
the concept of rebirth to assist in the practice of generating equanimity.
As we are discussing the cultivation of equanimity in the context of Christian
practice, however, perhaps it is possible to invoke the idea of Creation and
that all creatures are equal in that they are all creation of the same God.
On the basis of this belief, one can develop a sense of equanimity.

すべて生きとし生けるものへの平等心を身につけるのに、ひとつのやり方が
あります。たとえば、仏教の教えでは、平等心を起こすのに輪廻による生まれ変わり
の考え方をよりどころにすることができます。しかし、キリスト教の場合には、
天地創造の考え方、つまりすべての生き物は、同じ神によって創られたという点で
平等であるという考え方、にたよることができると思います。これを信じることで、
平等心を創りだすことができます。

 

What we aspire to achieve is, first of all, to set the foundation, to have a kind of
clear field where we can then plant other thoughts. Equanimity is this even ground
that we are first laying out. On the basis of this, we should then reflect on the merit of
tolerance, patience, love, and compassion toward all. We should also contemplate
the disadvantages and the negativities of self-centered thinking, fluctuating emotions
toward friends and enemies, and the negativities of having biased feeling toward
other beings.

私たちが求めるのは、まず、土台を作ることです。まっさらな土地にして、その上に
いろいろな考えを植え付けていくのです。平等心とは、この平らにならされた土地
なのです。その土台に立って、すべてのものに対する寛容や忍耐や愛や慈悲を持つこと
の長所を考えてみるのです。自己中心的な考え方をすることや、友人と敵に対して
それぞれ違う感情を抱くことの間違いであることや、他人に対して偏見を抱くことの
悪い面についても、よく考えてみます。

 

The crucial point is how you utilize this basic equanimity. It is important to concentrate
on the negativities of anger and hatred, which are the principal obstacles to enhancing
one’s capacity for compassion and tolerance. You should also reflect upon the merits
and the virtues of enhancing tolerance and patience. This can be done in the Christian
context without having to resort to any belief in rebirth.

一番大切なことは、この土台となる平等心をどう使うか、ということです。慈悲と
寛容の心を身につける上でもっとも邪魔になるのは、怒りと憎しみです。この怒りと
憎しみのもたらす悪い面を、よく考えてみるのです。それから、寛容と忍耐を増すこと
のどんな価値や美点を持っているのかを、よく考えてみます。輪廻と再生という
よりどころがなくても、これはキリスト教的な考え方通りにやってもうまくいく
はずです。

 

We can see that, generally, the person who has a tremendous reserve of patience
and tolerance has a certain degree of tranquility and calmness in his or her life.
Such a person is not only happy and more emotionally grounded, but also seem
to be physically healthier and to experience less illness. The person possesses
a strong will, has a good appetite, and can sleep with a clear conscience.
These are all benefits of tolerance and patience that we can see in our own daily lives.
一般的にいって、忍耐と寛容のたくわえの多い人は、落ち着いた、静かな生活を
おくっているようです。そのような人は、幸福で感情的にも安定しているだけでなく、
肉体的にも健康で、あまり病気をしないようです。強い意志を持ち、食欲もあり、
安らかな心で眠ることができます。寛容と忍耐は、日常生活にこのような利点を
もたらしてくれるのです。

 

One of my fundamental convictions is that basic human nature is more disposed
toward compassion and affection. Basic human nature is gentle, not aggressive
or violent.

私はつねづね、人間の本性というものは、もともと慈悲と愛情へ向かっているものだ
と確信しています。人間の本性は基本的には温和であって、攻撃的でも暴力的でも
ありません。

 

いかがでしたか?私たちひとりひとりが、慈悲(思いやり)と寛容の心を身に
つければ、それぞれの暮らしに、そして世界に、真の幸福が訪れるかもしれない。
そんな希望を抱かせてくれる言葉ではないでしょうか。この本で使われている英語は、
わかりやすく、説得力があります。原書、日本語訳、そしてCDをご紹介して
おきますので、みなさまの学習に役立てていただければ幸いです。

 

 

The Good Heart: His Holiness the Dalai Lama

The Good Heart: His Holiness the Dalai Lama

 

 

 

ダライ・ラマ、イエスを語る (角川21世紀叢書)

ダライ・ラマ、イエスを語る (角川21世紀叢書)

 

  

 

The Good Heart: A Buddhist Perspective on the Teachings of Jesus

The Good Heart: A Buddhist Perspective on the Teachings of Jesus

 

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