しあわせになる英語 English for Happiness

共に学ぶ「お役立ち」プログをめざします。

「ダライ・ラマ 宗教を越えて」その4。心のあり方が、あなたの幸福を左右する。

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お金があって、健康で、友達もいる。それでも、なお、本当に幸せかどうか
わからない、という場合があると言います。お金も、健康も、友達も、いつ無くして
しまうかわからない。不安がある限り、本当に幸せとは言えない。――ある意味、
贅沢な悩みとも言えますが、現状に満足できず、いつまでも消えない幸福を追い求めて
しまうのは、人間として、しかたのないことかもしれません。ダライ・ラマは、この
問題に対して、宗教の指導者という立場からではなく、すべての人の幸せを願う
心から、ひとつの明確な答えを導き出しています。バイリンガルで、どうぞ。

 

The role of our minds in determining our happiness can be easily illustrated. Imagine
two people diagnosed with the same terminal illness, say an advanced form of
untreatable cancer.

私たちの幸福を左右するのは、心のあり方なのです。それについてはごく簡単に説明
できます。同じ不治の病に、たとえば治療の施しようのない末期ガンにかかっていると
診断された二人の患者がいるとしましょう。

 

One of them responds to this news with anger and self-pity, obsessively focusing on the
unfairness of the situation, while the other responds with calm acceptance. In both cases
the material condition, in terms of physical health and suffering, is the same. But the first
person incurs additional psychological and emotional pain, while the person with a calm
mind is better equipped to carry on with life and continue to experience the things that
bring joy――family perhaps, or dedication to certain causes, or reading. The only
difference between the two is in their state of mind.

ひとりはこの事実を知らされて、人生はなんと不公平なことかと憤り、自己憐憫
浸ります。もうひとりは、平静にその事実を受け止めます。肉体の状態は同じ、苦しみ
は同じであっても、前者は病だけでなく心や感情面での苦しみも背負いこみますが、
後者は平静な心をもって事態を受け止めることができます。両者の物理的状況は、病気
と苦しみをかかえているという点では同じですが、前者はさらに心理的、感情的苦痛
まで背負いこんでいます。逆に、平静な心をもって病を受け止めた人は、喜びを
もたらせしてくれるもの(家族や読書やある種の目標に夢中になるなど)を楽しみ
ながら、人生を生き抜くことができます。両者の違いはただ心の状態にあるだけ
なのです。

 

With inner resilience it is possible, even in extremely aggravating circumstances,
to maintain a degree of happiness. And yet, without this inner strength, no amount of
sensual gratification can ever make us happy.

心の中にしなやかな力があれば、きわめて劣悪な環境でも一定の幸福を維持することが
できます。しかしこの内なる力を欠いていると、いかに五感の喜びがあろうと、
そこから幸せが得られることはないのです。

 

But if peace of mind is our first defense against hardship and suffering, there are also
other crucial factors which greatly contribute to our level of genuine happiness and joy.
Recent scientific research suggests that chief among these are a sense of purpose
which transcends narrow self-interest and a feeling of being connected with others or
of belonging to a community. The root of both of these, I believe, is compassion or
warm-heartedness.

苦難への最初の防御壁となってくれるのが心の安らぎならば、真の幸福や喜びに
役立ってくれるはずの大切な要素もあるはずです。近年の科学的な調査によると、
ひとつは狭量な利己心を乗り越えた目的感であり、もうひとつは他者とつながっている
という感覚、あるいは共同体(コミュニティ)への帰属感覚です。そしてその二つの
おおもととなっているのが、慈愛と思いやりの心なのです。

  

 

Beyond Religion: Ethics for a Whole World

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「ダライ・ラマ 宗教を越えて」その3。「宗教なし」で生きていくためのヒント。

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宗教を実践する人にとっては、倫理的に生きるのは当然のこと。しかし、多くの人々に
とって宗教があまり意味を持たなくなっている現代において、人類が生き残るために
必要な倫理的基盤は、どこに求めればいいのでしょうか? 世界の精神的(スピリチュア
ル)な指導者のひとりであるダライ・ラマが、この重要な問題に答えています。
バイリンガルでどうぞ。

 

To my mind, although humans can manage without religion, they cannot manage without
inner values. So my argument for the independence of ethics from religion is quite
simple.

人間は宗教なしでもやっていけますが、内なる徳性をもたずにはやっていけないと
私個人は思っています。ですから、宗教から倫理を切り離そうという私の主張はごく
単純なものです。

 

As I see it, spirituality has two dimensions. The first dimension, that of basic spiritual
well-being――by which I mean inner mental and emotional strength and
balance――does not depend on religion but comes from our innate human nature as
beings with a natural disposition toward compassion, kindness, and caring for others.
The second dimension is what may be considered religion-based spirituality, which is
acquired from our upbringing and culture and is tied to particular beliefs and practices.

私の見るところ、精神性(スピリチュアリティ)にはふたつの局面があります。ひとつは
人がもともともっている精神的な健全さ、いいかえれば内面的、感情的なバランスや
強さです。これは宗教に依らずとも人が生まれながらにしてもっている本質から生じる
もので、他人への思いやりや親切心、慈悲などがそれにあてはまります。二つ目は宗教
にもとづく精神性と見なされがちなもので、生まれ育ちや文化から出てきたもので
あり、特定の信仰や慣習と結びついています。

 

The difference between the two is something like the difference between water and tea.
Ethics and inner values without religious content are like water, something we need
every day for health and survival. Ethics and inner values based in a religious context
are more like tea.

この二つの違いとは、いってみれば水とお茶の相違のようなものです。宗教的内容を
もたない倫理や内なる徳性は、私たちが日々健やかに生きるために必要な水のような
ものです。宗教的内容をもった倫理や内なる徳性のほうはどちらかというとお茶に
似ています。

 

The tea we drink is mostly composed of water, but it also contains some other
ingredients――tea leaves, spices, perhaps some sugar or, at least in Tibet, salt――and
this makes it more nutritious and sustaining and something we want every day.
But however the tea is prepared, the primary ingredient is always water. While we can
live without tea, we can’t live without water. Likewise we are born free of religion, but we
are not born free of the need for compassion.

私たちが飲むお茶の成分のほとんどは水ですが、茶葉、香辛料、おそらくは砂糖が少し
(チベットでは砂糖でなく塩ですが)入っているため、水より栄養があり、飲めば元気
づけられ、日々の嗜好品にもなります。でも、お茶をどのように淹れても、その主な
成分は常に水です。私たちはお茶なしでも生きていけますが、水なしでは生きて
いけません。それと同じように私たちは宗教ぬきで生きることはできても、慈悲の
心ぬきで生きていくことはできないのです。

 

More fundamental than religion, therefore, is our basic human spirituality. We have
an underlying human disposition toward love, kindness, and affection, irrespective of
whether we have a religious framework or not. When we nurture this most fundamental
human resource――when we set about cultivating those inner values which we all
appreciate in others――then we start to live spiritually. The challenge, therefore, is
to find a way of grounding ethics and supporting the cultivation of inner values that is
in keeping with the scientific age, while not neglecting the deeper needs of the human
spirit, which, for many people, religion answers.

つまり人の根幹をなしているのは宗教ではなく人の基本的な精神性(スピリチュアリ
ティ)なのです。宗教の枠組みのある無しにかかわらず、私たちはもともと慈悲や
思いやりなどの性質を心の奥底にもっています。人の最も本源的な力を、私たちの
誰もが讃えるこの内なる徳性を培おうとするとき、私たちは初めてスピリチュアルな
生き方ができるようになるのです。これは、科学の時代に歩調を合わせつつも、人の
精神の奥深いところにある欲求も疎かにせずに倫理の礎をきずき、内なる徳性を培う
方法を見出すという挑戦なのです。多くの人にとってそれは宗教の役割と
受けとめられるかもしれませんが。

 

  

Beyond Religion: Ethics for a Whole World (English Edition)

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「ダライ・ラマ 宗教を越えて」その2。「宗教嫌い」に関する、ダライ・ラマの意見。

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十九世紀から二十世紀にかけて、「宗教は阿片である」というマルクス主義者からの
非難を筆頭に、宗教は人類の進歩にとって障害物であるという考え方が、広く浸透
しました。主に西洋の思想による教育を受けてきた私たち日本人も例外では
ありません。いわゆる「宗教嫌い」「宗教アレルギー」の人々は多数存在します。仏教
の指導者ダライ・ラマは、こうした傾向に対して、どういう意見を持っているのか?
バイリンガルでご紹介します。

 

While I cannot accept the suggestion that religion is an obstacle to human development,
I do feel that, in the context of history, anti-religious sentiments may be understandable.
History teaches the uncomfortable truth that religious institutions and adherents of every
denomination have been involved in exploitation of others at some stage or another.
Religion has also been used as a pretext for conflict and oppression. Even Buddhism,
with its doctrine of nonviolence, cannot escape this charge entirely.

私は宗教が人類の進歩を妨げるものであるという意見には賛成できませんが、歴史的
文脈に身をおくと、反宗教的感情をもつ人がいるのも理解できます。歴史を
ふりかえってみると、さまざまな宗教制度や宗教の信者がいろいろな場面で人々を搾取
してきたというありがたくない事実が見えてきます。また宗教は闘争と抑圧の口実に
用いられてきました。非暴力の教義を掲げる仏教でさえ、その罪を犯さずには
すみませんでした。

 

So when negative attitudes toward religion, in the West or elsewhere, are motivated by
a concern for justice, they must be respected. In fact, one could argue that those who
point out the hypocrisy of religious people who violate the ethical principles they
proclaim, and who stand up against injustices perpetrated by religious figures and
institutions, are actually strengthening and benefiting the traditions themselves.

正義感ゆえに西洋やその他の地域で宗教への嫌悪感が生まれたなら、それは尊重される
べきでしょう。自ら唱える道徳的戒律を裏でこっそりと破る宗教者の偽善を指摘する
のも、宗教者や宗教制度によってつくりだされた不平等を是正するために声をあげる
のも、結局のところ宗教そのものに恩恵をもたらし、宗教を高めているといえます。

 

However, when assessing such criticisms, it is important to distinguish between
criticisms directed at religion itself and those directed at the institutions of religion,
which are two quite separate things.

とはいえ、そのような批判の是非をはかるには、その批判が宗教そのものに向けられた
ものなのか、それとも宗教制度に向けられたものなのかを明確に区別しておくことが
肝心です。なぜならこの二つはまったく別物だからです。

 

To my mind, notions of social justice are in no way contrary to the principles espoused
by religion itself, because close to the heart of all the great faith traditions is the aim of
promoting humanity’s most positive qualities and nurturing such values as kindness,
compassion, forgiveness, patience, and personal integrity.

私自身は宗教の唱える根本原則と社会正義の概念は対立しないと思っています。
というのも、すべての大宗教の核には、思いやりの心や慈愛、赦し、忍耐、高潔さと
いった人類の最もすばらしい徳性を培い、育むという目的があり、その点ではこの二つ
はきわめて近いからです。

 

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「ダライ・ラマ 宗教を越えて」その1。人類の危機を救うのは、「宗教を超えた」倫理?

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核戦争の危機、環境問題、貧富の差の拡大etc…人類は、今、破滅に向かっているのか、
それとも誰もが幸せになれる道がまだ残されているのか?――仏教の巨人、ダライ・
ラマの答えは、ある意味、驚くべきものです。すなわち、「今日の私たちに必要なのは
宗教的な源をもたない倫理への切り口であり、宗教を信じる者、信じない者の双方に
等しく受け入れられる『世俗の倫理(a secular ethics)』なのです」――仏教ではなく
「宗教を超えた」倫理が人類を救う、という彼の言葉に耳を傾けるべき時は、まさに、
今、なのかもしれません。バイリンガルでお届けします。

 

I am confident that it is both possible and worthwhile to attempt a new secular approach
to universal ethics. My confidence comes from my conviction that all of us, all human
beings, are basically inclined or disposed toward what we perceive to be good.

私自身は非宗教的な切り口での普遍的倫理を新たに打ち立てるのは可能であるし有益で
あると確信しています。この確信は、基本的にすべての人類は自分たちが善と認識する
ものへと惹かれていく傾向にあるという私の信念から生じています。

 

Whatever we do, we do because we think it will be of some benefit. At the same time,
we all appreciate the kindness of others. We are all, by nature, oriented toward the basic
values of love and compassion. We all prefer others’ generosity to their meanness. And
who among us does not prefer tolerance, respect, and forgiveness of our failings to
bigotry, disrespect, and resentment?

何をおこなうにしろ、それが何かの役に立つと思うからこそ実行できるのです。誰しも
他者への思いやりの心を高く評価し、慈しみの心とあわれみの心という人間の基本的
価値観を自ずと志向するのです。誰しも他人を憎むより愛することを選び、吝嗇な
人より布施の行為ができる人を好みます。偏狭や軽蔑や憤懣といった欠点より、忍耐や
尊敬や赦しを選ばない人などどこにいましょうか?

 

In view of this, I am of the firm opinion that we have within our grasp a way, and
a means, to ground inner values without contradicting any religion and yet, crucially,
without depending on religion. The development and practice of this new vision of ethics
is what I propose to elaborate in the course of this book. It is my hope that doing so will
help to promote understanding of the need for ethical awareness and inner values in this
age of excessive materialism.

こうしてみると、いかなる宗教をも否定せず、もっと肝心なことには宗教に依存せず、
内なる徳性を拠り所とする方法や手段はすでに私たちの手の中にあるはずなのです。
私は本書において、新たな倫理のヴィジョンをいかにして実践し、促進していくか、
詳述すべく努めました。過剰な物質主義に走ったこの時代、本書が倫理にめざめて、
内なる徳性への必然性を理解するための一助になることを願うばかりです。

 

At the outset I should make it clear that my intention is not to dictate moral values.
Doing that would be of no benefit. To try to impose moral principles from outside,
to impose them, as it were, by command, can never be effective. Instead, I call
for each of us to come to our own understanding of the importance of inner values.

最初に断っておきますが、私は道徳的価値観を押しつけるつもりはありません。そんな
ことをしてもなんの役にも立たないでしょう。外から道徳原理を押しつけたり、かつて
そうであったように命令で無理に強いてもなんの効果も上がらないのです。ですから
私は皆様方それぞれに、内なる徳性の大切さを理解していただきたいのです。

 

For it is these inner values which are the source of both an ethically harmonious world
and the individual peace of mind, confidence, and happiness we all seek. Of course,
all the world’s major religions, with their emphasis on love, compassion, patience,
tolerance, and forgiveness, can and do promote inner values. But the reality of the world
today is that grounding ethics in religion is no longer adequate. This is why I believe
the time has come to find a way of thinking about spirituality and ethics that is beyond
religion.

なぜなら、誰しもがこいねがっている心の平和や信頼や幸福を得るためには、また民族
どうしが争うことなく調和してやっていける世界をつくるには、内なる徳性が必要
だからです。もちろん世界の大宗教はどれしも、慈しみの心、あわれみの心、忍耐、
寛容さ、赦しの大切さを強調していますし、内なる心の徳性を育むことをやってきて
います。しかし今日の世界において、宗教に立脚した倫理はすでにふさわしいものでは
なくなっているのです。そのようなわけで、宗教を超えた倫理と精神性(スビリチュ
アリティ)の道を見出すべきときがきていると私は思っているのです。

 

   

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「ダライ・ラマ 実践の書」その10。仏教の「実践」は、実際問題、何に役立つか?

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仏教を知識として学ぶだけでなく、「実践」すること。すなわち、道徳的な戒めを
守り、集中的な瞑想を行ない、智慧を磨く、という3つの修行を実践することが、
その中身であり、この「ダライ・ラマ 実践の書」で詳しく解説されていることなの
ですが、いったい何の役に立つのか?ダライ・ラマの言葉に耳を傾けてみましょう。

 

The real value of practice is seen when we face a difficult period. When we are happy
and everything goes smoothly, then practice seems not so urgent, but when we face
unavoidable problems such as sickness, old age, death, or other desperate situations,
it becomes crucial to control your anger, to control your emotional feelings, and to use
your good human mind to determine how to face that problem with patience and calm.

実践の真価は困難な時代に直面したときに見られます。幸せで、すべてがうまくいって
いるときは、実践はそれほど必要不可欠なものではありませんが、病気とか老いとか
死、あるいはそのほかの不幸な状況に陥り、避けがたい問題に直面したとき、怒りを
コントロールし、情動的な感情をコントロールし、忍耐と平穏をもって問題にどう
向かい合ったらよいかを決めるために、自らの良心を活用することは必要不可欠と
なります。

 

If we practice this way, our first hope is that we may overcome the problem, but, if not,
at least the problem cannot disturb your mental peace. This is good, is it not?

もしこのようにして実践すれば、むろん最初に望むことは問題の解決ですが、たとえ
そうでなくても、少なくとも、どんな問題もあなたの心の平和を妨げることはできない
でしょう。これは素晴らしいことではないでしょうか。

 

You are facing the situation and retaining your peace of mind――without taking drugs or
trying to pull your thoughts away from it. That is why we take such great interest in our
weekends and vacations! Five days a week you are very busy, working hard to make
money, then on the weekend you go to some remote place with that money and have
a nice time! This means you are trying to take your mind off your problem. But the
problem is still there.

どんな状況に直面しても、心の平和を保つことができるのです。薬に頼ることも、気を
紛らわせる必要もありません。これが皆様方に、週末とか休暇に大いに関心を寄せて
いただきたいと薦める理由です。一週間のうち五日間、皆様方はたいへん忙しく、お金
を稼ぐために懸命に働き、週末にはそのお金をもってどこか遠いところに行って、
楽しく過ごしますね。これは自分の心を自らの問題から遠ざけようとしているに
すぎません。しかし、問題はまだ足下にありますよ。

 

However, if you have a good mental attitude, it is not necessary to divert yourself. When
you can face the situation and analyze the problem, then, like a big piece of ice in the
water, it will gradually melt away. If you practice sincerely, you will experience its real
value.

でも、もしあなたが良き心の態度をもったならば、レジャーなどで気晴らしをする必要
はありません。困難な状況に向かい合って問題を分析することができますから、
そうすると水の中の大きな氷の固まりのように、問題は次第にとけてなくなってしまう
でしょう。このように実践に真剣に取り組むならば、その真価を知ることになる
でしょう。

 

How To Practise: The Way to a Meaningful Life

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ダライ・ラマ実践の書

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「ダライ・ラマ 実践の書」その9。仏教の智慧「空(emptiness)」を、どう考えるか?

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仏教を学ぶ人が必ず出会い、そしてある意味、つまずいてしまうのが、般若心経の
「色即是空」で有名な「空(emptiness)」の考え方かもしれません。私自身も、理解不足
なのですが、短く言えば、「あらゆる事象はそれ自体の力では存在していない。
すなわち『空』である」ということなのです。これは、通常の私たちの感覚とは正反対
の教えに思えるので、何かモヤモヤとした感覚を引き起こします。ですが、ダライ・
ラマの解説を聞くと、少しはそのモヤモヤが消えるかもしれません。バイリンガル
ご紹介します。

 

Buddha said many times that because all phenomena are dependently arisen, they are
relative――their existence depends on other causes and conditions and depends on
their own parts.

仏陀は、あらゆる事象は他に依って生起する、すべては相依相対的である、と繰り返し
説かれています。いかなるものも他の原因と条件(=因縁)によって起こり、なおかつ
それぞれを構成する多くの部分に依存しているのです。

 

A wooden table, for instance, does not exist independently; rather, it depends on a great
many causes such as a tree, the carpenter who makes it, and so forth; it also depends
upon its own parts.

木製の机を例にとってみましょう。この机は他に依らずして存在し得ません。
それどころか、材料の樹木、製作した大工、等々、途方もなくたくさんの原因に依って
います。のみならず、これを構成する部分にも依っています。

 

If a wooden table or any phenomenon really were not dependent――if it were
established in its own right――then when you analyze it, its existence in its own right
should become more obvious, but it does not.

木製の机であれ何であれ、あらゆる事象が、もし他にまったく依存していないとする
ならば、つまり、それ自体の力で構築されているとするならば、そのことを綿密に分析
してみなければなりません。その結果として、諸事象はそれ自体の力で存在している、
ということが明白になるでしょう。しかし、全然そういうことにはなりません。

 

This Buddhist reasoning is supported by science. Physicists today keep discovering finer
and finer components of matter, yet they still cannot understand its ultimate nature.
Understanding emptiness is even deeper.

この仏教の理論は科学によっても確認されています。現代の物理学は、物質の構成要素
を極小のレベルまで追究し続けていますが、それでも究極の素因を突き止めるに至って
いません。空性を理解することは、それにもまして、はるかに深遠なことなのです。

 

ここで、ダライ・ラマは、「空」すなわち、あらゆる事象は自性として(それ自体の力
で)存在していない、という教えに対する、最悪の誤解を紹介しています。

 

If objects do not inherently exist, does this mean that they cannot function? Jumping to
the conclusion that because the true nature of objects is emptiness, they are therefore
incapable of performing functions such as causing pleasure or pain, or helping or
harming, is the worst sort of misunderstanding, a nihilistic view.

もし対象が自性として存在していないならば、その対象はいかなる作用もなしえないと
いうことを意味するのでしょうか。対象の真の本性が空だから、それゆえ、それは
たとえば苦楽の原因にはならないとか、何の助けにもならず害にもならないという
ように、いかなる作用もなしえない、と早合点してしまうことは最悪の誤解であり、
虚無主義的な見方にほかなりません。

 

For the time being, the subtle view of the emptiness of inherent existence might be too
difficult for you to understand without falling into the trap of nihilism, where you are
unable to understand that phenomena arise in dependence on causes and conditions
(dependent-arising). For the sake of your spiritual progress it would be better for now
to set aside trying to penetrate emptiness.

さしあたって、あらゆる存在は自性として空であるという微細なレベルの見解を、
虚無主義の罠に陥ることなく理解することは、あまりに難しすぎると考える人がいると
しましょう。諸事象は原因と条件に依って生起するということ(=縁起)の理解が
おぼつかないわけです。そういう人は、健全な精神の発達のために、しばらく空性を
理解するということを無理に考えないほうがよいかもしれません。

 

How To Practise: The Way to a Meaningful Life

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ダライ・ラマ実践の書

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「ダライ・ラマ 実践の書」その8。今日からできる。心の平和を得るためのヒント。

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仏教では、人生における苦しみから解放され、心の平和を獲得するための実践方法が
いくつも説かれています。その中でも有名なのが瞑想ですが、最近では「マインドフル
ネス(気づき)」につながるノウハウとして解説本が数多く出版されていることは
ご承知のとおりです。「ダライ・ラマ 実践の書」でも、瞑想に関する詳しい記述が
あるのですが、あまりに本格的すぎて、正直に言って、とっつきやすいものでは
ありません。興味のある方は、ご自分で一読されることをおすすめしますが、この
ブログでは、瞑想以外に、ストレスを取り除いて心の平和を獲得するためのやり方を
ご紹介しておきます。

 

■Consider trouble from a broader perspective. If someone accuses you, rather than
lashing out, imagine that this accusation loosens the chains of your own self-cherishing,
and thereby enhances your ability to care for others.

■広い視野から悩み事を考えてみることです。もし誰かに何かのことで、悪口を
いわれたというよりも、きつく責められたとします。そこでくよくよ悩むのではなく、
この叱責は自分の自己中心的な鎖をゆるめ、それによって他者に気づかいをすることの
できる能力を高めてくれる絶好の機会なのだ、と考えてみるのです。

 

Reframe bad circumstances as forces assisting your spiritual development.
This technique is difficult to implement but very powerful when you succeed.

自分の置かれた悪しき環境をただ嘆くのではなく、それを自らの精神的発達を促して
くれる力のもとなのだ、と考え方を変えてみるのです。この技法を実行するのは
むずかしいかもしれませんが、うまくいくとたいへん力強い成果が得られます。

 

■When you are jealous or wish harm on an enemy, instead of stewing over that person’s
bad qualities, reflect on his or her attributes. Most people are a mixture of good and bad
qualities――it is hard to find anyone who is bad in all respects.

■敵に警戒心を抱き、あるいは害を与えてやろうと思うとき、その人の悪しき素行に
気をもむかわりに、その人のもつ特質をじっくりと観察してみることです。ほとんどの
人間は良い性質と悪い性質を併せもっています。あらゆる面からみて悪のみという人は
見出しがたいものです。

 

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